会津藩の礎を築いた『蒲生氏郷』2016.05.10 03:56蒲生氏郷(がもううじさと)1556-1595幼名・鶴千代。通称・忠三郎。初名は賦秀。洗礼名はレオン。会津若松城主。近江六角家家臣・蒲生賢秀の嫡男。永禄十一年に賢秀が織田信長に降伏し、人質として岐阜城に送られた。翌年元服して信長に従って各地で戦い、見込まれて信長の娘・冬姫を娶り、日...
肥後の虎・勇猛果敢で知られる『加藤清正』2016.05.10 03:54加藤清正(かとうきよまさ)1562-1611幼名・夜叉若。通称・虎之助。主計頭。肥後守。初代熊本藩主。加藤清忠の子。尾張愛知郡中村に生まれる。幼児期に父をなくし、母とともに津島に移り住む。母が豊臣秀吉の生母の伯母にあたることから秀吉子飼いの武将となった。天正十一年、賤ヶ岳の合戦で...
戦国時代の英雄『織田信長』2016.05.10 03:53織田信長(おだのぶなが)1534-1582織田信秀の嫡男、幼名・吉法師、元服後は三郎信長、上総介。信長の父信秀は守護代・清洲織田氏の家臣だったが、実力で本家をのっとり、尾張に勢力を張った。元服後の信長は半袴にヒウチ袋などを下げ、太刀は朱鞘、身につけるものはことごとく赤色という異様...
豊臣秀吉に仕えた『大谷吉継』2016.05.10 03:50大谷吉継(おおたによしつぐ)1559-1600通説では近江生まれであるが、父の大谷盛治は豊後・大友氏の家臣であったともいわれる。母は豊臣秀吉の正室の侍女といわれているが不明。幼名・桂松。通称・紀之介。刑部小輔。秀吉の小姓から奉行の一人となった。賤ヶ岳の戦い前に長浜城主で柴田勝家の...
天下のご意見番と呼ばれた『大久保忠教』2016.05.10 03:49大久保忠教(おおくぼただたか)1560-1639徳川家康の家臣。大久保忠員の八男。忠雄。幼名・平助。通称・彦左衛門天正四年、兄・大久保忠世に従い遠江・乾城合戦で初陣し、それ以来兄に従って多くの合戦に参加忠世の死後、天正十八年に甥の大久保忠隣の所領から二千石を領する慶長十九年、忠隣...
備前岡山57万石の大名『宇喜多秀家』2016.05.10 03:48宇喜多秀家(うきたひでいえ)1573-1655宇喜多直家の嫡子。母はお福の方(円融院)。幼名・八郎。父の病没により九歳で家督を相続する。毛利攻めに参陣した羽柴秀吉に気に入られ、のちの元服時には「秀」の字を与えられ秀家と称した。また、秀吉の養女で前田利家の娘・豪姫を娶り豊臣一門とし...
戦国時代の最強武将としても名高い稀代の名将『上杉謙信』2016.04.25 00:38上杉謙信(うえすぎけんしん)1530-1578越後守護代長尾為景の末子。幼名虎千代。元服後は喜平次景虎。関東管領。弾正将弼。天文五年の為景没後、林泉寺に預けられ、天室光育について勉学した。長兄の長尾晴景が家督を継いだのちに胎田常陸介が謀反を起こし、景虎は本庄慶秀を頼り栃尾城へ逃れ...
豊臣政権における五大老のひとり『上杉景勝』2016.04.25 00:37上杉景勝(うえすぎかげかつ)1555-1623越後・坂戸城主長尾正景の次男。母は上杉謙信の姉・仙桃院。幼名喜平次。上杉謙信の養子となる。初名は顕景でのちに景勝と改名し、謙信から弾正少弼の位を譲られた。謙信の急死すると、明確な後継者が定められていなかったため、同じ養子の・上杉景虎(...
豊臣秀吉の五奉行の筆頭『石田三成』2016.04.25 00:36石田三成(いしだみつなり)1560-1600豊臣秀吉の五奉行の筆頭。通称・佐吉。初名・三也。治部少輔。近江・佐和山城主。近江の坂田郡石田村出身。十五歳のとき、当時長浜を領していた秀吉に認められ側近の吏僚となる。この時の「三椀の才」の逸話は有名。天正十三年、秀吉の関白就任の際に従五...
徳川四天王の一人『井伊直政』2016.04.25 00:36井伊直政(いいなおまさ)1561-1602遠江・井伊谷の豪族・井伊直親の嫡子。徳川四天王の一人。幼名・虎松。通称・万千代。父は今川氏に仕えたが、謀反の疑いで討たれたため、母とともに新野佐馬助に引き取られた。その後左馬助が戦死し、母が松下源太郎と再婚したときに養子となる。しかし井伊...
北近江の領主『浅井長政』2016.04.25 00:35浅井長政(あざいながまさ)1545-1573北近江の領主。浅井久政の嫡子。幼名・猿夜叉。通称・新九郎。父・久政が六角家に臣従したため、六角家臣・平井定武の娘を妻とし、六角義賢の賢をもらい賢政と称した。しかし十六歳のときに重臣と協議し父・久政を隠居させ、六角氏と決別した。そのとき妻...
足利義昭・織田信長に仕えた武将『明智光秀』2016.04.25 00:34明智光秀(あけちみつひで)1528-1582足利義昭・織田信長に仕えた武将。通称・十兵衛。清和源氏で土岐下野守頼兼の末裔といわれる。惟任日向守光秀。前半生は不明だが、伝承によると美濃・可児郡明智荘を領していた土岐氏の庶流・明智光綱の子。幼くして父が病死し、叔父明智光安に後見される...