会津藩の礎を築いた『蒲生氏郷』

蒲生氏郷(がもううじさと)1556-1595

幼名・鶴千代。通称・忠三郎。初名は賦秀。洗礼名はレオン。会津若松城主。

近江六角家家臣・蒲生賢秀の嫡男。永禄十一年に賢秀が織田信長に降伏し、人質として岐阜城に送られた。

翌年元服して信長に従って各地で戦い、見込まれて信長の娘・冬姫を娶り、日野城に戻された。

元亀元年の朝倉攻め、天正元年の近江小谷城攻め、同二年の伊勢長島合戦、同三年の長篠合戦、同六年の摂津伊丹城攻め、同九年の伊賀攻め、同十年の信濃攻めなどに歴戦。

本能寺の変が起こったときに父が安土城の留守居をしていたため、日野から安土に駆けつけ、在城の信長夫人やその家族を連れて日野に非難した。そして明智光秀からは近江半国をもって誘われたが一蹴した。

変後は羽柴秀吉に従い名を氏郷と改める。滝川一益を攻めて亀山城を与えられた。

天正十二年、小牧・長久手合戦の戦功によって伊勢松ヶ島十二万石に転封される。

松阪に新城を築き移った氏郷の徳を慕い、故郷から多くの日野商人が松阪に移住したという。

天正十三年の紀州攻め、越中・佐々成政攻め、同十五年の九州征伐、同十八年の小田原陣攻めに従い、奥州・会津黒川城九十二万石に封じられる。日野の若松の森にちなみ会津若松の名称に改めた。

文禄元年、文禄の役のため肥前・名護屋在陣中に病にかかり、同四年に伏見で死亡。四十歳だった。

妻:織田信長の娘(冬姫)

父:蒲生賢秀

子:秀行

兄弟:氏信(兄)、氏春(兄)、重郷(弟)、貞秀(弟)

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