加藤清正(かとうきよまさ)1562-1611
幼名・夜叉若。通称・虎之助。主計頭。肥後守。初代熊本藩主。
加藤清忠の子。尾張愛知郡中村に生まれる。幼児期に父をなくし、母とともに津島に移り住む。
母が豊臣秀吉の生母の伯母にあたることから秀吉子飼いの武将となった。
天正十一年、賤ヶ岳の合戦で戦功をあげ、七本槍の1人として秀吉から三千石を与えられる。
佐々成政が肥後を没収されると、天正十五年に肥後半国二十五万石を与えられ、熊本に居城を構える。
文禄・慶長の役には朝鮮の2王子を捕まえるなど数々の戦功を立てたが、石田三成と不和となり、慶長元年に朝鮮から召還された。その年に京畿の大地震が起こり、伏見城にいち早く赴き秀吉の勘気を解いたことは「地震加藤」として有名。
関ヶ原の戦いには家康方につき、熊本で西海を鎮め、肥後全州五十二万石を封ぜられた。
天正十三年に従五位下主計頭。慶長十年、従五位上侍従・肥後守に叙任されている。
秀吉の旧恩により秀頼の保護に尽力する一方、慶長十五年の名護屋城普請では率先して本丸の大工事を引き受けた。
秀頼と家康の二条城での対面には浅野幸長と共に秀頼警護に尽力。領国への帰り道に病にかかり、天正十六年熊本で死去。
暗殺されたとも言われる。築城・治水・干拓の名手として知られている。
父:加藤清忠
妻:肥後南郷・玉目丹波守の娘(正応院)、菊地武宗の娘(本覚院)、水野忠重の娘
子:忠広(二代藩主)、熊之助、古屋姫(榊原康勝の妻)、於あま(徳川頼宣の妻)
兄弟:
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