スサノオノミコトは、ヤマタノオロチにクシナダヒメを差し出さなければいけないと悩む年老いた夫婦、アシナツチとテナツチに出逢う。ひと肌脱ぐことにしたスサノオは酒樽とクシナダヒメとともに船で川を上っていった。するとヤマタノオロチが出現したが、これは織り込み済み。ヤマタノオロチは酒の表面に映ったクシナダヒメの姿を本物だと思って香み込み、したたかに酔ってしまった。これがスサノオの考えた作戦だったのである。酷配「したヤマタノオロチを愛剣、十束剣で倒したスサノオが尾を開くと、なんと硬い剣が出てきた。スサノオはこれを天叢雲剣と命名し、アマテラスオオカミに献上したという。
この剣はアマテラスの孫・ニニギノミコトによって人間の世界に再び運ばれ、伊勢神宮に奉納されたのだというのだ。これに対してもっともらしい異説は、日本の刀工の祖とも言える鍛治の神、アメノマヒトツノカミによって鍛えられ、献上されたというものだ。マメノマヒトツはダイダラボッチやひよっとことも同一視される製鉄の概念を具現した存在であり、かつ、土、水、鉄などを運び使用する鉄火場のようなところの職人や首領を神格化した者だとすると、天叢雲剣は当時の最新テクノロジーを象徴する、オーパーツ的な武器であり工芸品だったのかもしれない。いずれにせよ、神代と呼ばれる古い時代に、神か人かもわからぬ権力者に献上された重要な物品であることにちがいはない。天叢雲剣の伝説にはつづきがある。「天孫降臨」という一大イベントが発生、人代に移り、神武天皇に皇位が継承されたあと、主人公となるのはヤマトタケルノミコトだ。父の景行天皇に疎んじられたからか、息子いびりとも言うべき命を受け、ヤマトタケルは全国に遠征。まさに巣籍達し、大和朝廷に立ち向かう敵を平定していく。この罰ゲーム状態を不問に思ったヤマトヒメノミコトは、クマソタケルを討伐する際には女装用の衣装をヤマトタケルに渡し、東方十二神を平定する際には火打石と天叢雲剣を渡し・・と可能なかぎりの援助をした。ヤマトタケルはこの二大アイテムを駆使して窮地をくぐり抜け旅をつづけるが、途中、走水の海では妻のオトタチバナヒメを犠牲にして延命する辛い目に逢う。それでもなお旅をつづけたヤマトタケルは蝦夷を治めたのち、尾張国でかねてより結婚の約束をしていたミヤズヒメと契り、人生のクライマックスを迎える。ところが何を思ったかヤマトタケルは枕許に天叢雲剣を置いたまま伊吹山の神を征伐するべく出発してしまう。神を相手に武器を持たないで立ち向かうのはやはり無理があったらしく、氷雨に見舞われてからだの自由が利かなくなり、なんとか大和国(奈良県)に帰ろうとしたものの、道半ば、伊勢国(三重県)能獲野にて行き倒れとなってしまたのだという。ャマトタケルの魂のみが白鳥となり、河内国(大阪府東部)から天をめがけて飛び去っていった。
朝廷権力の象徴ともいうべき天叢雲剣を欠いたことで、旅の途中で不利益な目に遭ったのか。最期に逢ったミヤズヒメが月経を迎えていたことが関係しているのか。走水の海の危機は水難事故を思わせる描写だけに、天候の悪化で遭難したことの姫曲表現にも思える。しかしふつうに考えれば、南は九州から北は東北(北海道?)まで過酷な遠征を繰り返し、それぞれの豪族と戦っていたのだとすると、いつどこで死に絶えてもおかしくはない。やはり最期は名誉の戦死だったのか。こうして遺された天叢雲剣は三種の神器のひとつとして伝えられ、国を守護するアイテムとして厳重に保管されるようになったのだった。
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